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2011年 07月 19日
NHKの『下流の宴』。デフォルメされているのに諸々がものすごくリアル(この文脈で使うなら、デフォルメされているからこそ、でもあるなあ)で、初見で「怖いドラマだ…、もう観ない!」と思ったものの、結局最後まで観てしまった。まさしく、怖いもの見たさ。
美々しく着飾ってる時よりも、なりふり構わないところで力を発揮する黒木瞳ってやっぱり女優だなあ。 価値観は通り一遍じゃなくてグレーでもいいとは思うけど、やっぱり負けたくないってのが人間の本心でもあり。そういう心境に人はいかにたどり着けるのか。 2011年 07月 17日
なぜか夢に大竹しのぶが登場。
「大河ドラマの演技、素晴らしいです!」と、伝える私。 なぜ大竹しのぶ、そしてなぜ大河ドラマ。 大竹しのぶは素晴らしい女優さんだと思いますが、そこまで好き、というわけじゃないし。大河ドラマの演技はもちろん上手だけれども、それならむしろ「おひさま」の串田和美の演技のほうが素晴らしいと思っているのだが。 夢ってわけわからんなあ。 2010年 09月 06日
ただいま、BS2にて鑑賞中。
改めてスラヴァの歌声って清濁あわせのんだ音色だなあ。 青木ユーリが新鮮。なにせ私、山本ユーリしか観たことないのでね〜。 青木ユーリは微妙なおか…げほげほ…風味ではなかったです(私には山本ユーリがそうみえる)。そうか、やっぱりそうだよね〜、ユーリはおか…げほげほ…ではないよね〜。 いや、私、言っておきますが(誰にじゃ)、憑依型の山本ユーリも大好きですよ、あれはあれで、ひとつのユーリの表現方法だと思う…というか、もう山本ユーリは俳優山本芳樹と役を分離できないというか。そこまでいってしまってますからねえ。だから微妙な浮遊感というか、ある種人間離れした感があって、それが微妙にくねくねする方向に進んでいるんじゃないかと…非論理的こじつけ。 青木ユーリは硬質で清廉、敬虔なキリスト教徒であること、最終的に神学校にいくことに納得がいくユーリでした。ユーリが元々持ってる真面目さがものすごく表に出ており。役者の性格ですかねえ。良い意味で、きちんと「演じている」ことに好感がもてました。 岩崎オスカーは…、なにせ私、曽世オスカーが脳内刷り込みされているので、違和感はありましたかね。 曽世オスカーの、もう何をやっても揺るがないオスカー(一年目の岩崎オスカーとは年期が違うわな)っぷりと比べると、やっぱりどうしたって岩崎オスカーは若いですなあ。 いや、オスカーはそもそも若いんですけれども。若さと瑞々しさを楽しむ若者チームと、様式美を楽しむ年長チームの違いってことでしょうか。 ただ、オスカーの見せ場って、揺るがなさと校長が倒れたときの弱さの対比なのだと思うのですが、その辺が岩崎オスカーはいまいち弱かった気も。ただ、映像になるとかなり舞台の雰囲気が縮小されてしまうと思うので、安易に比べてしまうのはよくないですが。 青木ユーリと曽世オスカーの組み合わせで観てみたかった気もします(が、超ベテランオスカーと超初心者ユーリの、バランスは…どうなんだろ、やっぱりあんまりよくないかもしれない)が、それも曽世さんが卒業した今となっては、儚い夢ねえ。 で、ここまで個性のことなる4人を相手に芝居をしていた松本エーリクは大変だっただろうなあ、としみじみ思ったのでした。 …そして、最後に言いたいこと。山本シャール、変! くねくねし過ぎなんじゃ…(汗)。ヨロヨロ(動揺する音)。山本くん、私はやっぱり君のことがよくわからないよ…。 2010年 08月 26日
青山円形劇場は…久世さんの「プライベート・ライブス」以来だから…4年振り? 相変わらず緊密な空間でいいなあ。360度、ごまかしのきかない空間は役者さんも演出家も大変だろうけど、観る者としては演劇の醍醐味を味わえて、やはり楽しい。
うんうん、こういう想像力を駆使して観る芝居は、いいよね。 演出サイドは「分かりやすさ」に大層こだわって演出していたように見えたけど、全然問題なかったですよ。天井からぶら下がってた地名のパネルも特に必要なかった。というか、むしろ余計。ついでに、各国風な音楽も。なくても、どう舞台が動いているのか、役者の台詞と演技でちゃんと伝わったと思う。 4人で20役以上を演じ分ける、ってのがうりの芝居らしいですが、重要なのは大人数を4人で演じ分けることよりも、むしろ4人が主役のヘンリーを分担して演じるということでした。 人間って、この作品に登場するデフォルメされたキャラクターみたいに決して一つの色に染まるものじゃあない。ヘンリーが、旅を通じて180度異なる人生に踏み出していくように、人間はとっても複雑に出来ている。だから、4人で一人の人間を演じるという趣向が、人間の重層性というか多面性につながっていて、それが大層面白かった(この辺りはパンフレットにも書いてあったけど)。 20人のうち、そもそもちゃんとしたキャラクターを持っている役は10人ほど。あとはタクシーの運転手だったり、ポーターだったり、ウェイターだったり。出の一発でそういう人だと分かってもらわなければいけないという意味で、ほとんどの役は分かりやすくデフォルメされている。 俳優のキャリアから考えたら、この程度のデフォルメキャラを演じるなんてお茶の子さいさいでしょう。出の瞬間に職業を伝えるなんて、とってもテクニカルで上層的(これは褒めてる)。そしてそれぞれの役を役者は軽々と越境して、カメレオンのようにどんどん纏う衣を変えていく。 そして、同じようにヘンリーも軽やかに人生を飛び越えちゃうの。それはまさに叔母さんの旅と同じ。だから、「世はすべてこともなし」。 旅って常に何かの変化の素を孕んでいるんだなあ。構えていたら何も始まらない。行っちゃえば意外になんとかなるんですよ。 私も色々と軽々と飛び越えていきたいものです…と考えている時点で、軽やかさを失っている気がする。 2010年 08月 26日
本日は久しぶりのマチソワです!…まとめて一日2本観るのは爽快でいいなあ。
前評判が悪過ぎた「ロジェ」。…意外に、いけましたよ! いや、もうロジェが大きい子供だとか、鈍臭すぎるとか、バシュレさんは子育て間違ってるだろとか、ヒロインは相変わらずいなくてもいいとか、色々色々ありすぎましたが、全部水さんのかっこよさ+脳内妄想変換でなんとか前半は乗り切れた〜。 役が少ないとか、ヒロインとヒーローが恋愛してないとか、相変わらず未沙さんのことがどんだけ好きなんだとか(作品がそもそも未沙のえるありきで、そこから作られているってのも、本当にどうかと思うけど)、そこにも目をつぶってあげよう! 基本「マリポーサ」に驚喜したタイプなので、少人数がダイアローグだけで繋いでいく芝居は全然OK。いや、商業演劇、というか宝塚がそんなことじゃいかんだろとは思うけれども。 しかし、「殴るぞ!」以降がいかんかった。この芝居はこの一言に尽きると思います。 殴っちゃいかんだろ、殴っちゃ! 「慣れないことをして自爆するのはまっぴらだ」なんてこという男、世の中にやまほどいるじゃないか!簡単にそんなこと言う男がかっこいいわけない。そこまでは、ロジェの精神的にはりつめている状態がひしひしと伝わってきて、素晴らしかったのに。 ハードボイルドを宝塚に持ち込んだのが正塚さんの功績なのだと思いますが、ハードボイルド的な作品で枯渇してるのが何とも皮肉。何を宝塚の観客がかっこいいと思うのか、もう正塚さんはそれを掴めなくなってるんだなあ…。それはつまり、我々の生きている世界を掴めていないということと、等しいわけで。 「愛するには短すぎる」とか「薔薇に降る雨」とか、ハードボイルド以外ならそれなりのものが書けてるわけんだから、一度ハードボイルドから離れたほうが良いんじゃないんだろうか。ちなみに「ラスト・プレイ」はハードボイルドから離れようとしたけど、離れきれなくて笑いに逃げた失敗作(敢えてはっきり言ってみる)。 彼は、自分の「ハードボイルド」の世界に甘んじすぎて、というか自分のハードボイルドなヒーロー像に固執しすぎてだめになってる気がする。かっこいい男はあの状況で「殴るぞ」とは言わない(しつこい)。 ヒロインと恋愛できないヒーローが続いてるのも、その辺に原因があるのかなあ。何か女性不信になる出来事でもあったんだろうかっ。 信念を貫くこととこだわりが過ぎることが紙一重で、結果ロジェが幼稚でいっちゃってる男になりかけるのを水さんが有無を言わせないかっこいいよさでまともな男に仕立てるという…。水さんはもう今まで積み上げてきた男役芸を存分に発揮した、とろけるほどいい男でしたよ。ええ。 芝居全体はどこの「マリポーサの花」かと思いました。男同士の友情のあり方とか(いや、ロジェはリオンを友人だと思ってないと思いますけどねっ)、セットの出し入れの仕方とか、そっくりだった…。 音月さんは、熱さとか、まっすぐさが音月さんらしく、いつも通り。ただ、一回しかやれない二番手ポジションが普通、ってどうなんだろうとも思う。私は、チャレンジングな音月さんが好きなので。 彼女は宝塚人生の中で、「難しい」役をやっていないというイメージがあるんですよね。音月圭のイメージの中でできる役だけをやってきているというか。そういう意味でもっとがっつり水さんとも組めるとよかったのに。 加えて、今まで水さんとガチな彩吹さんがやっていた友人ポジションをこなすのはさすがに歩が悪かったかな。水さんの友人=彩吹さん、という刷り込みがあるからなあ…。ついつい、何か違うんだけど、と思ってしまう。 ちぎちゃんのクラウスはかっこよくて嵌まっててよかったんだけども…捕まっちゃうんだ!とびっくりした(なんか間抜けじゃない?)。そして、最後のコーラスにも出てきてさらに、びっくり。なんでお見送りの歌なんて歌ってるのさ。 出番の多さを抜きにした役的な比重として考えたら、二番手は緒月さん。ロジェが「撃てない」ことに対して、非常なる説得力がありました。 みなこ嬢はほんとストーリーに絡まない役で、気の毒としか言いようがなく。ただ、そんな中で、生に対する執着、必死さを感じさせてくれたのが、役者愛原実花の面目躍如というか。こういう小さなきっかけを大きく膨らませられる、いい役者だったよなあ。 これから経験を重ねれてもっともっと化けられただろうに…返す返すもここでやめちゃうのが残念。 衣裳が全部微妙だったのに奇跡のスタイルでみせていたことにも感動。、新公でやる子はかわいそうだな〜。 そういえば水さんて普通のショーをあんまりやってないんだなあ…と、「ロック・オン」を観ていて思う。 普通だったのって「ミ・ロワール」くらいだよねえ。あとは「ソロモンの指輪」「風の錦絵」「RIO DE BRAVO」「カルネヴァーレ睡夢」…。色物か、退団イベント作品ばっかりだ。 雪組ってショーは弱いのね〜、というのが最初の感想。 というかスタンダードなショーってやっぱり難しいんだなと。つまり、私的には特に見所が今ひとつなくて…むにゃむにゃ、という感じでした。おおっ、と引き込まれたのはオープニングくらい。雪組のショーは楽しい!という刷り込みは…彩吹さんのせいでもあるだろうけど、時間の短さからくる独特の集中力とか、方向性の目新しさとか、とにかく目先を変えるショーが多かったせいなのか。 水さん、は改めて観ると「ショースター」ではなかったのかもしれない。むしろ芝居の人だったのかもしれないなあ。 彼女の、賢さとか真面目さを心から愛でてはきましたが、水さんは私にとって「ときめくスター」ではなかったんだなあ。実は、「かっこいい」とときめいたことはあんまりないのだ。宝塚のショーは、ときめくスターがいてなんぼ。このショーが私に取って今ひとつだったのは、そのせいなのかもしれない。 なので、「ロジェ」はオープニング以外はごくごく普通のショーでございました。これっ、というお気に入りの場面がなかったので、私的には盛り上がりに欠ける感じになってしまいましたが、一定レベルをちゃんとクリアしている、それなりに観れるショーだとは思います。 でも、ロック調の燕尾の場面はよかった。そうそう、水さんがぐるっと銀橋から本舞台を見渡す所なんかもぐっときました。 ときめかなかったとか言いつつも、水夏希さんはやはり愛すべきジェンヌさんではありました。堅実さというか根本的な真面目さとスター性を両立させた得難いスターさんだったなあ。 長らく見続けて来たスターさんが去るのは寂しい、けれどそれが宝塚の宿命で。水さんのいない雪組なんて今ひとつ想像できないけど、それも今までトップさんが辞めるたびに繰り返してきたことで。いろいろ含みはありつつも「ロミオとジュリエット」、私たちを楽しませてくれるはず、と期待してます。 2010年 08月 24日
一言、言いたい。 海老蔵、腹から声出さんかい! 姿はほんとにほれぼれするほどかっこいいのに、しゃべり始めたら声がひょろひょろなの〜。 受けを狙う芝居ってどうなの、どうなのよ。いい本なんだから、もっと本を信じろよ〜。君はかっこいいんだから、真面目に普通に芝居やりなよ。そうだよ普通にやればいいんだよ。腹から声だせ、腹から芝居しろ、くき〜!!な感じでございました。 そもそも伊右衛門て、ふらふらと腹を決めかねていて流されてる男だと思うんだけれど、それでも「しゃあねえ、ここらでいっちょ覚悟を決めるか」みたいな瞬間があるんじゃないの? どこで覚悟を固めたのかさっぱりわからんかった。 薄っぺらい男として伊右衛門を演じる方向性もあるだろうけど、絶対何にも考えてないだけだと思われ(断言)。 姿形が完璧といっていいだけに、出来なさ加減との落差があんまり哀れでねえ。シクシク。勘太郎がよくできているだけに、より一層残念な感じでねえ。シクシク。 とにかく、勘太郎と海老蔵の対比が見事でございました。結婚していい気になって浮かれてる男と、子供ができてより一層芸に精進する覚悟がある男の違いっ? 勘太郎は芝居がほんとに素晴らしかったですね。こちらはちゃんとお腹の底から丁寧に芝居が出来ていて、かつ美への執念とか情念とか滲んでよかった。真面目さが花開いた!という感じ。 最初に出てきたときの元気なお岩がすこぶる地味だったのと(弱っていくお岩との対比という意味ではいまいち、しかも彼女は夜鷹のはずだし)、芝居がよすぎて幽霊になったあとの凄みというかはっちゃけ振りが足りないとか、戸板返しとか提灯抜けとかのケレンが返って蛇足のように見えたのは…今の所の勘太郎さんの限界なんでしょうねえ。 その辺、上手さとケレンがもっと噛み合うようになれば、もっともっと勘太郎も人気が出てくるんじゃなかろうか。 四谷怪談自体は、今回始めて生の舞台を観て、本当にどえらい芝居じゃと思いました。忠義とか親孝行とか 意味ないじゃん! というひっくり返し方がすさまじい。価値観が揺らぐ時代だったんだなあ…。 ほんとは伊右衛門とお岩が並び立って初めていきてくる芝居だと思うので、そういう意味でも役者の出来てなさがとても残念。 その他諸々、対比鮮やかな芝居。二人の愛憎の関係性とか、性格描写の細やかさとかもすごく面白い。見所の多い、いい本だ。夢の場とか三角屋敷の場もあって芝居として完成型なのだと思うので、いつか通しでやってくれるといいなあ。 2010年 08月 12日
井上ひさしは劇場にいた…はず。 井上ひさしも黙阿弥も素晴らしいよね。例え時代が離れても、私たちを時には泣かせ、時には笑わせて、楽しませてくれる。とは、友人の弁。
配役を確認していなかったので、吉田さんが黙阿弥をやっていることに気が付かず、最後まで吉田鋼太郎はいつでてくるんだろ〜、と思っていた。残念すぎる…。 青天鬘のせいでやや顔の形が面長に見えたせいもあるけど、実は私、彼がシェイクスピア等々のバロック的な芝居をしているところしか見たことがなく。今日はそれとは全然違う芝居をしてたから気付かなかった…んだと思う。 なので、『海をゆく者』は「バロック的芝居」だったからだめだったんだ、と気が付いた。あの時下がった株がぐぐっとあがりましたよ!(何様のつもりだ) 黙阿弥は芝居について語る。書き手は観客のことを考えているか、外国の物をそのまま取り入れるだけでいいのか、それを見たい観客はどこにいるのか、古いものを簡単に断ち切っていいのか。そして時流にいつも流される、移ろいやすい大衆にもそれでいいのかと疑問を投げかける。 それは取りも直さず社会への言及でもある。日本は明治維新以後、欧米の文化を「よきもの」として取り入れてきた。日本はアジアで欧米列強と同じ戦争/植民地政策を行ったし、いまだに欧米の制度をそのまま取り入れては自爆するパターンを繰り返している。 政治家は国民のためではなく、自分たちの私腹を肥やすためだけに政治をしている。官僚もまたしかり。けれど大衆だって権力をただしく裁く見識を、戦後60年を経た今も持ち得ていない。私たちの生きる現在と黙阿弥の生きる過去は繋がっている。人も人の世も、時代を経てもいつも変わらない。 でもでも、そういう言及があるから素晴らしいわけじゃないのだ。 台詞でも言われていたけれど、世の中はままにならないことばかり。だから芝居はままにならない世の中を描く。世の中、どこにいってもままにならないのは一緒。じゃあ、仕方がない。明日も生きてみるか。観客はそうして明日を「生きる力」を芝居にもらうのだ。 作家はいつだって「芝居とは」「書くこととは」と問い続ける宿命を背負っている。だから、作家は孤独。でも、その代わりに、言葉を紡ぐ。作家の孤独が私たちの心を打つのだ、きっと。 演劇はいつだって社会を映している。世の中の埒外にいるような作家の言葉が社会を映すのは不思議な気もするけれど、それは至極当然。だって、批評をするには距離が必要だもの。世の中のまっただ中にいたら、きっと批評に足る距離はとれないのだ。 そう考えると宝塚の作家が昨今芝居を書けない理由は歴然。だって、彼らは月給をもらって書いている作家。世の中の仕組みのまっただ中にいるんだから。 作家が命を削って書いた戯曲を、役者達が命を削って演じる。観客が人生を映して観る価値がある、そういう芝居に、生きている間にいくつ出会えるんだろう。 2010年 07月 28日
星組の現トップ3は、今の宝塚の中で最も私好みの3人。とにかく美しくてゴージャス。大人な雰囲気もクラシカルなのも捨てがたいけど、やっぱり宝塚を見るならとにかく「キラキラ」をたくさん飛ばせるスターさんはやっぱり観てて楽しい。
観ていて楽しいのは「キラキラ」している人たち。でも、好きだったのは久世星佳さんで彩吹真央さん(娘役は洲悠花→檀れい)、個性としては正反対、決して「キラキラ」とは言えまい。この辺り、年をとって好みが変わったのか、今までの反動なのか、よくわからない。まあ、「好き」なことに理由はないからなあ。それについてはまた後日考えることにしよう。 というわけで、簡単に柚木嬢以外のキャストの感想を。 ねねジュリエット。歌はまあ、あんなものでしょう。ファンは何かと言うと欠点をあげつらって扱き下ろす傾向にありますが、どの娘役もたっちんやかなみ嬢みたいに歌えると思っちゃいけませんよ。トップ娘役にとって大切なのは何より「華」があること。ねね嬢には「華」がある。それが一番大事じゃないか。 ねねちゃんのジュリエットはキラキラ全開でとにかくかわいい。そもそも「少女」は彼女の得意分野だし。私が彼女を好きなのは「愛」がきちんと演じられるというのもある(型だけなぞることはできても、意外にこれが出来る役者って宝塚には少ないのだ)。 生であろうと死であろうと、ロミオとともにいることだけを目指して走っていくジュリエットは、まさにあたり役でした。ジュリエットの死のソロも、ロミオが戻ってきたことを喜ぶ無邪気さから、死に気づいて絶望し迷わず後を追う一連のドラマ性と疾走感が素晴らしかった。 スキル的には柚木嬢の隣にいると足りない部分が多いんですが、トップコンビには何より愛があることが大事! これからもこの二人のコンビが生み出す作品を楽しみにしている。 てるティボルト。ポスターを見て絶句したビジュアルは生ではちゃんと美しくてひと安心。登場シーンが最もかっこよくてそれ以降はどんどんへたれ度が上がっていくなんて…どんな当て書き、と思ったけれどワイルド兄ちゃんもそれなりに出来てました(どんな感想)。 ベニーマキューシオは相変わらずやり過ぎかなあ。もうちょっと内側を満たす演技をしてもいいんじゃないかと思う。何もかもを全開で表現することが、必ずしも観客に訴える演技になるとは限らない。ただ、一人で全体のイケメン度をガツンとあげてましたけど! 涼ベンヴォーリオ。意外だったのが歌がいまいちだったこと。そうか、このレベルになると彼女でも対応が難しくなるのね(出落ちしていた太王四神記を思い出した)。末っ子的なおっとりした優しさ…というあたりはさすがにお手の物でした。 乳母のれみちゃん。いやあ、各所での評価が高かったので楽しみだったのですが…期待を裏切らないことって大事よねえ。もともと薄幸な役をやらせたらピカイチな人だったわけですが、そうかこういう陽気で快活な役も腹の底からちゃんと表現できる人だったんだ。宝塚の役者は基本はその人の持っている「持ち味」で勝負するから、ニンに合っていない役をきちんと演じられる人は少ない。だから、ちゃんと「そう見える」役者はとても重要。役者として彼女は今回大きな階段を登ったんだろうと思う。ソロは大変そうでしたが、まあ概ね歌えていたし。 元々路線外で女役が出来る人が昔から大好きだった。みんながみんなピンク色の娘役じゃつまらない。時には赤、時には白、時には紫、と色んな表現ができる娘役がいれば、それだけ舞台の幅が広がるに決まってる。今後も頑張って舞台に立ち続けてほしい。 まん中の人たちより脇の人のほうがスキルが高いのはいつものことですが、星組は英真、花愛、音花、水輝と歌える人も揃ってるのよねえ。特に母親二人の”La Haine”は情念があってよかった。 スターが好きで作品が良作であれば、そりゃあファンは嬉しい。「良作」であるのが、いつも宝塚では難関なんだけれど。海外ミュージカルが素晴らしいのは当然。だから、座付き作家の皆さん、オリジナル作品も頑張ってね。 2010年 07月 27日
ミュージカルとしての出来としては…それは素晴らしかったですね〜。宝塚の芝居はとにかく役者を抜きにしては語れないですが、宝塚の芝居ということを抜きにしてもよかった!
小池修一郎はアレンジャーとしてはほんとにピカイチ。アレンジャーとしての有能さと、作家としてのだめさを対比してしまうと、最近オリジナルを書いていないのは納得なのですが…本人的にはどうなんだろう。 "J'ai peur"とか"Avoir une fille"あたりは「歌いつつ語る」曲、"Le Balcon" や"Aimer" はミュージカル的でメロドラマチックなナンバー、"Vérone" "Les Rois du monde" はロック。音楽的にもバラエティーが豊かで楽しい。 作品全体としてもまあ歌は歌えなくちゃだめなんでしょうが、あまり役者に技術的に無理をさせていない印象。歌詞なんかも日本人になじみのある「これぞロミオとジュリエット」なモチーフが散りばめられていて(「月に誓わないで」とか)いい意味で理解しやすい、というかロミオとジュリエットがわからない観客はあんまりいないだろうけど、無難なミュージカルに仕上がってたと思います。 海外ミュージカルを宝塚でやる時に大事なのは、無難さとファンタジー度を上げること。この辺も小池さんは上手ですよね〜。このくらい無難なものが基盤にあれば、色んなカンパニーにも応用がききそう…つまり東宝でもできそう。しかし、東宝でやるとしたら誰がロミオをやるんだ? 井上王子様? そして、今回のトピックスとしては…うっかり柚木さんに恋に落ちてしまったことですな。 イケメンなのは十分知っていましたが、いまさらここで柚木落ちとは。あああ、信じられない。宝塚ファンを20年もやってきて、かっこいいものなら死ぬほど観てきてるのに、それでもまだまだときめかせてくれる人がいる。宝塚ってほんとに侮れない。 現トップの中では挫折知らずの王道を行くトップさん。一人っ子政策で育つスターさんの中には育ち方に失敗してしまう人もたまにいたりする。タニオカさんとか、真飛さんとか(彼女達は迷走を続けながらも、最終的には素敵なトップさんになったけれど)。柚木さんは一人っ子政策の中でも曲がらず、わき道に逸れず、まっすぐ正しく進んできた。 水さんも真飛さんも霧矢さんも大空さんも、みんな素敵。でも彼女たちは、苦労人で挫折を知っているから、ならではの憂いというか、自己言及性みたいなものが自ずと舞台に出てくる。柚木嬢にはそういう屈折が全然ないんだなあ。挫折を知らないものだけが放てる、真直ぐな王者の輝き。彼女の持っているまぶしさを今の私のバイオリズムが欲してるのかしら…。 全体的に歌のレベルが高くない中、歌、芝居、踊り、どれをとっても宝塚のミュージカルレベルを一人でぶっちぎってました。骨太な大人の男が柚木さんの基本スキルだと思いますが、「僕」キャラのロミオも「天然」ではなくて、きちんと演技的に作れる、というのがいい。 歌って踊るスキルも非常に高いですしね〜。かつ美貌も兼ね備えているという、ここまで万能のトップさんは実は宝塚史でも久しぶり…なつめさん以来ぐらいじゃないでしょうかねえ。 2010年 07月 26日
というわけで、星担になった私。 星担というより、むしろ柚希礼音担、と言ったほうが正しいかもしれないなあ…。無理して梅田に来てなかったらこんなことにはならなかったはず。これを幸福というべきか不幸というべきか。 まず「ロミオとジュリエット」という作品が普通に日本で上演するには厳しい作品なんだと実感。なんてったって8頭身美男美女が演じないとだめですからね~。でないと、こんな荒唐無稽な恋愛話に説得力は生まれません! シェイクスピアを上演する劇団は数あれど「ロミオとジュリエット」が上演されてるのは、そういえば見たことがない。蜷川が昔、大沢たかお+佐藤藍子でやっていて、最近では藤原竜也+鈴木杏。確か山本耕二+牧瀬理穂でもやってたかな。つまり、リアル日本人が演じる場合、相当美男美女じゃないと演目的になりたたない、と。 ちなみに、ファンタジーをやらせたら日本でピカイチの宝塚歌劇団においても、「ロミオとジュリエット」は俳優を選ぶ演目だと思います。真飛さん、霧矢さん、水さん、大空さんのロミオなんて、想像したら…トウが立ちすぎてて…以下略。 ヒロインにおいてもしかり。若くないとだめというのももちろんあるけれど、若いだけではだめで、真ん中で物語を牽引する上でのスター力も必要。若さとスター性を両立させられるバランスを持ったスターでないと出来ないわけだ。 しかも、改めて難しいなあと思ったのは、ロミオってかなり猪突猛進な馬鹿ものだけれど、育ちのよさや知性も必要。理性が勝ちすぎるとロミオの失踪感が出ないし、かといってただの馬鹿だとジュリエットとの恋愛話に説得力がない、と。宝塚のスターって基本的に「天然」なので、この辺のバランスも割とナチュラルになんも考えずにやってるような気もしますけど(失礼なっ)。 色々能書きをたれましたが、つまり現トップの中では星組でしかできない演目と言えましょう(音月さんもそれなりにやるだろうとは思うけど)。まあくん、まさき、みりお、ちぎちゃん、かちゃ、若手でもロミオ自体はできるだろうけど、やっぱり牽引力という意味では物足りないんだろう、実際にやってみたら。
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